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ototo詩TalkSession.01小屋敷剛トーク『沈黙の異伝子』
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2011年2月10日木曜日『ototo詩vol.2』で、小説『ある夜のエクス』を主題に「ピアノ/小屋敷剛」「ミニアコーディオン/井上泰信」「リーディング/黒川直樹」の3人がセッションしました。
ここに掲載するのは、そのライブ後に『小屋敷剛/TOUCHを解く』と題して催されたトークを再構成した鼎談です。
(構成/黒川直樹)
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イニシャル
G ―― 小屋敷剛
T ―― 井上泰信
N ―― 黒川直樹
F ―― フロア
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―初耳でいる―
N いやー即興のセッションってむずかしい!
T リハも軽く合わせたくらいだったからね。でも淡々と読めてたんじゃない?
N 淡々とっていうか必死の冷静さ(笑)。それにしても泰信がなにやるのか本番まで謎だったわ(笑)。
T ユーストリームなど準備が忙しかったんだよね(笑)。ではさっそくだけど剛君に来てもらおうか。
N 剛君、よろしくお願いしますー
T 小屋敷剛さんです!
F パチパチパチ(拍手)
G こんばんはー
N セッションお疲れさまでした!
G どうもどうも。
N 今回のセッション、どんなテーマでどんな内容にしようかって話してたとき、剛君がおれの「ある夜のエクス(2009/12)」を主題としてリクエストしてくれたんだよね。
G うん。「ある夜のエクス」は即興演奏にあう気がしたし、何よりご本人に朗読していただける機会もそんなにないだろうしね。この本から得たインスピレーションは大きいです。
N まずはototo詩的な問いかけから! 剛君の一昨年(おととし)はどんな一年だった?
G 駄洒落からだね(笑)。そうだな、ずっとアルバムを作ってましたね。
T 最新作『TOUCH(2010/12)』が出たばかり。
G うん。mAtterというレーベルから去年のクリスマスにリリースされました。
N どんな思いがあってタイトルを『TOUCH』に?
G それは各々が解釈していただければと。
N いったんアルバム製作に入ると、日常生活も大きく変わりそうだけれど。
G そうだね。製作中の曲を聴くところから一日が始まって、眠る直前まで手を入れて……って感じになるかな。自分の出したい音に集中したいから、他の人の音楽が聴けなくなるような変調もあったりね。
N 音については自分の製作だけで目一杯になるんだ。
G できるだけイメージしようとする音の傍にいたいんだよね。
N 繰返し曲を直していると、そのイメージに近づけるものなの?
G それが、そうじゃないところに難しさがあって(笑)。僕は製作にパソコンを使っているけれど、これって「なんどでも曲に触れて、なんどでも書き直せる」ツールで、実は両刃の剣なんだよね。
N いい面と、そうじゃない面があるんだと。
G そうそう。曲の始まりから終わりまでを繰返し聞くからこそ、製作者としてはその都度曲を「初めて聴く」という耳でいられるように努めなきゃなって。
T 美空ひばりさんも歌入れは一発録りだったんだよね。
G うん。セロニアス・モンクは、音楽と接するときはなにより最初が大事なんだと言ってたね。ぼくもその通りだと思う。
N その「聴く/聴こえ」っていうのは、どういう意味? たとえば音色が聴き手の感情を掻きたてるストーリーやエモーションを、よりドラマティックにするような音を探し当てるようにとか、あるいは単音のテクスチャや和音のアウトラインをクリアにしていくみたいな……音そのものに着目、注目する曲の作り方とか。「聴く/聴こえ」のニュアンスって色々ありそう。
G んーと。そうだなあ、音そのものに着目したり磨いたりってのは音楽を作る前の段階なのね。一旦音楽を作り始めるとあとは理屈じゃないところで向き合わなくてはならない。感覚というかね。そしてこれはとても体力のいることなんだ。音を音楽にするのは簡単なことじゃないから。聴き手の感情を掻きたてるストーリーやエモーションを考えて作るかってのはね、うーん、全然気にしてない(笑)。誰かに聴かせる前に自分で聴くわけだしね。そこでの判断はぼくの中にしかないから。
―正解ではなく―
T 剛君が「楽曲の完成」の決め手にするのは、どんな基準や感覚ですか?
G まず作ってる最中ってのは、全体としての正解は見えてないんだ。けどね、いま目の前にある曲のどこが問題かってのはわかる。だから正解じゃなくて問題が常にある状態なんだけど、この感覚が曲を形にする手がかりになる。それを延々続けていくんだけど、質問の「楽曲の完成の決め手」ってのはね、ぼくの場合完成の基準はハッキリしてて、その曲が歌っているかどうか、だね。
N いま話してくれた「問題」という言葉は、課題や困難というニュアンス? それとも違和感みたいなもの? あるいはエラーを感じる、とか。
G エラーというと事故っぽいので、違うかな。違和感という表現が一番しっくりくるかも。泰信君はどう? 製作中に気にしてることってある?
T 僕はラスコーの壁画をイメージしながら曲を作ってます。
N ふるい洞窟の絵?
T そうそう。旧石器時代の後期にクロマニョン人が描いたって言われてるんだけどね。洞窟のなかで、いちばん声が響く位置に壁画が集まっているって。面白いですよね。その事を知って凄く衝撃で。まあヘラジカとかが描かれてたんだけど、だってきっと当時は生き延びるためのシグナルっつーかさ、まだ音楽っていう概念もほぼ無かったような時代に、洞窟に入ってみたら暗闇の中でリバーブに包まれちゃったわけだから「なんじゃこりゃ〜!」ってビックリしたと思うんですよ。自分の存在を超えた何かを感じたんじゃないかな。クロマニョン人も、今で言うサウンドスケープ的な聴取を本能的にやってたんだろうね。じゃないとピンポイントに一番響きの良い場所に絵なんて描かないもんね。そこにさ、現代人が忘れてしまったような音の本質が隠れてるような気がして、想像力が膨らむんだよね。
―対話の意味―
N 音楽の概念もなかった時代かあ……そういえば剛君って音の目覚めはいつ?
G ぼくは最初ギターから始めたんだけど、きっかけってのもよくある話で、テレビやラジオから流れてくる音楽に引き込まれたってのが大きいよね。ぼくの実家は青森県の三沢ってところで田舎だから当然情報も遠い。しかも当時はネットなんてないしね。ラジオやテレビから流れてくる音楽がすべてだったわけで。でも三沢ってとこには米軍基地があってさ、基地放送とか頑張れば受信できたりするのね(笑)。そこからビルボードの最新チャートとか聞いたりしてたね。自分では入口がど真ん中の大衆音楽で、いまこういう音楽を作ってるってのは、とても重要なことのように感じてるけどね。
N 基地の電波を盗むって、なんか……スリル(笑)。でも限定的な情報って染みそうだな、想像力を掻き立てられたりとか。とくに音は、どこで聞くか、どんな聞き方をするかで、体験の質が大きく変わるだろうし。
G 僕は自分のアルバムを、できれば一曲目から最後の曲まで一息で聴いて欲しいと思っているんだけど、音って長く聴いていることが難しくてね。
N それは、何と比べたときの難しさ?
G たとえば映画って今では三時間とか当たり前だけど、まあ割と普通に見れるじゃない? けど音楽のアルバム一枚六〇分を真剣に聴くとなると、その疲労感にはすごい差があるじゃない?
N あるある。
G ここには音の抽象度の高さと、そこに向き合う聴き手の集中力の質が関わってると思うんだけどね。音楽家として、当然このことも考えて作らなければいけない訳で。『TOUCH』を全曲通して聴いてもらうにはどうしたらいいかな、と。
N 映画が参考になるんだ。
G 映像的な感覚や視点から音楽製作を進めるときはあるね。『TOUCH』に収録した「DOUBLE」という曲を構成する、高音と低音の尺を決めたのも或る映画のワンシーン、その編集リズムだったしね。さっき言ったように、僕は音楽を製作しているときに他の人の音は聴けないけれど、小説や哲学は手に取るし、このように映画を観る時間から様々なヒントをもらってる。
N 剛君は映画音楽も作っているけれど、自分のアルバムを製作するときとの違いってどんなところなんだろう。
G それはやっぱり一人で完結できるかどうかに尽きるよね。映画の場合何よりも大切にしないといけないのはその映画がどうなりたがっているかっていうのを感じ取ることだから。ぼくのエゴは必要ない。
T この人が用いる音楽はいいなーという映画とか、監督さんってどんな人?
G ミヒャエル・ハネケはすごいね。この人の映画って音楽がほとんど使われないんだけど、音楽を使用する以上に音楽を感じさせることに成功している。つまり音楽を使用して補うべきものがないんだ。シーン、カット、役者の演技、それ自体が音楽を奏でているに等しいし、そっちのほうがよっぽど相応しい音をならしてくれる。音になる前の音として、頭の中でね。この表現上手く伝わってるかな(苦笑)。たとえば日本には能という文化があるけど、あれってさ、お面の表情は変化しないじゃない? けど観客はそこに哀しさや喜びを見出すよね? 見出すというより、そのように見えるよね? それと同じで、具体的な音を鳴らさないことによって初めて感じられる音というのかな、自分の内から鳴り出した「音ならざる音」みたいなものには、外でならされている音はやはり適わないと思う。「適わない」というより、敵対するような音の存在自体がそもそもがないんだからね。ハネケはこういった、表現が実に上手い。観客の想像力を決して眠らせないんだよね。
N ちなみに、さっき話してくれた「DOUBLE」のヒントになったという映画は何だったの?
G 溝口健二の映画かな。どれっていうのは明確にはないけど。
N 溝口健二!?あ、でも彼の映画は“DOUBLE”って言葉がひとつのキーワードかも……。
T そういえば今回の『TOUCH』は前作の『slit(2008/12)』に比べると、より有機性に関心の置かれた作りかな、と思ったんだけど。
G 有機?
T うん。さっきの映画の話でもそうなんだけど、剛君が考える「人が音を聴くときの生理」というのかな、聴き手が『TOUCH』を聴くときのリズムやバランスへの配慮が深まったり、人間の体とか心への関心が『slit』より高まっているのでは、って。
G あー、どうなんだろう。そうかもしれないね。製作におけるコアは変わらないけど、確かに表現が持っているジレンマにぶつかって、それを乗り越えようとするればするほど、自然とそういった関心は強まるんじゃないかな。表現をとことん考えて行くと、やっぱりね、本当に伝えたいことっていうのは伝わらないってとこに行くんだ。いや、伝えられないといったほうが正しいかな。だから『TOUCH』だって、どんな聴き方をしてもらってもいいし、結局のところ、各々自分の聞き方しか出来ない筈なんだ。どういう訳かみんな病的なまでに誰かの意見を欲してて、それこそ自分にまで嘘をついて誰かと同じ発言をしている人も多いように見えるけど、大前提として誰かと同じ訳ないんだから。一旦言葉にしてしまえば同じ表現のものは括られるから、同じと思い込んでしまいがちだけど、そんな筈はないんだよ。他と違うってことがその人をその人たらしめてるんだから。もっとその違いを大切にしたほうがいいと思う。そして言葉が見つからないのであれば、ただ黙って作品と向き合っていればいいんだ。それがぼくのいう対話の意味だよ。
―想像力の雪―
N 借り物じゃない言葉を書けるように話せるようにって、そうあろうとモガいたって、どれだけ欲しがったって、自力じゃ難しくって参りそうになるときもあれば、誰かがくれる機会に、わーっと拓けていくことがあったりする、みたいなことについては……ototo詩を始めたモチベーションだとか、それこそ「詩」につながるような……音って音楽家にとっては詩なのかな? 音も詩も作る泰信はどう感じてる?
T おれは歌詞は書かないけれど、音がポエティックになる時もあるよ。というのも、音と詩はとても似てる部分があるなと感じてて。一つの言葉にも色々な意味があるし、イメージも連鎖するじゃない? 例えば簡単に言うと「りんご」って言ったときに八百屋とか禁断の果実とかアップルコンピュータとか椎名林檎とかさ。これがまた次の言葉にバトンタッチするときにイメージにダイナミズムが生まれると思うんだけど、これ音も同じで。一つの音を出すとその前後の音の関係も動くんだよね。音にせよ、言葉にせよ、ここをどう動かして働かせるかが面白いところだよね。
N 剛君は製作中に曲のイメージを物語のように書き出したり、詩的なフレーズをメモすることはある?
G イメージを膨らませる段階では色々書くよ。でも、いちど製作に入れば音だけに向き合います。メモを書いたりということはしないね。というのも、製作しながら曲について何か書きはじめると、その音が言葉に閉じられてしまうんだよね。
N 閉じちゃう、不自由になるってこと?
G 言葉が音を雁字搦めにするというか。紙やモニタにどれだけイメージを書き出したところで、やっぱり頭の中で鳴っている音にはならないし、かなわない。僕は常々、この頭の中で鳴ってる音楽を大切にしたいと思ってて。
N 音色ってどこに保存されているんだろう。インスピレーションってなんなんだろう。
G 少なくとも曲に関して言えばね、これはぼくの想像力の在り方なんだけど、作曲っていうと、僕が作ったり生み出しているように思われがちだけど、そうじゃなくて、それはもう既にどこかに存在していて、僕はそれを掴みにいくっていう感じがしてるのね、それはとても扱いにくくて、いつも僕を振り払おうとするので、必死で追いかけないといけない。製作中は、だからとても辛い(笑)。
T 真冬の農業みたいですね。
F ?!
T あ。雪の下に育つ収穫物を、一生懸命収穫する剛君の姿が浮かんで。
N それで、真冬の農業!
G たしかに……僕は農業の盛んな青森出身です(笑)。
N いま全国的に豪雪状態だから、地元はもう凄い雪なのでは?
G うん、いつにない降雪量みたい。今夜は東京も降るみたいだよね。
T 天気予報だと、明日からの三連休、すべて雪マーク!
G 趣き深い夜にお招きいただけてよかったなーと思ってます。
2011年2月10日/atガンバラネBAR
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小屋敷 剛(gokoyashiki)/OFFICIAL WEBSITE
http://gokoyashiki.jp/音楽家。青森県三沢市出身。バークリーメソッド、音楽史を学び、弦楽や室内楽の作曲も手掛ける。
国内外でライブを行い、自身のソロワークを制作する傍ら、写真/グラフィック等の展示会、映画や舞台への楽曲提供も手掛けている。08年、mAtterより電子音によるアルバム『slit』をリリース。
リズムとドローン、ラウドネスとサイレンス、抑制と疾走、饒舌と寡黙。細部まで徹底的に構築されたストーリーテリングの妙に多くの注目が集まる。10年、約二年振りの新作『TOUCH』をリリース。
自身が語るように、このアルバムには音楽家Go Koyashikiの最もピュアな状態が保存され、生成され、音楽化されている。次回作は全編アコースティック楽器による作品を予定。既に制作を開始している。
ロゴスに回収されてしまう前の、概念化/言語化不可能な領域での鑑賞者との対話を強く希求し、音楽の本質が学問や論理には依らず、音楽そのものであることによってのみ成立するというアティテュードを持つ。